KAMIGURUMA |
/ 神車の歴史 |
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神車の歴史、名前の由来とは
神車(かみぐるま)の名の由来は定かではありませんが、かつてこの地域が神戸(ごうど)と呼ばれていたことから、この「神」の一字をとって付けられたものと言われています。山車の創建は、大正14年(1925年)で、令和7年(2025年)に100周年を迎えます。昭和23年、昭和56年、昭和63年など幾多の改造と装飾を加えて今日の姿になっています。半田の山車の中では比較的新しい方で、華やかさと若々しさを感じさせる山車です。

神車の沿革 |
/ 神車の歴史 |
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嘉永2年(1849)と安政4年(1857)の「本成岩神事祭礼式定」には、北村、南組、西馬場、東馬場の例祭における打ち込みや下降の順序が記されている。また、明治23年「神祭二関スル北村南組両組ノ条約書」にも例祭の形式を書き記し、これを伝統として継承して今日に至っている「半田市誌 祭礼民俗編」より
愛知県半田市は、人口12万人知多半島の中心部にある。江戸時代から醸造業をはじめ多くの産業が盛んで全国各地へ海運を利用して製品を運送した。特に酒や酢は江戸に運ばれ大量消費された。このとき蓄えられた財力により各地区で山車が建造されたと思われる。最も古い資料は、宝暦5年(1755)に描かれた乙川祭礼山車絵図である。現在の乙川地区の山車と同じ4輌の山車が描かれていて、当時の祭礼の様子が偲ばれる。山車は、一般に古くなれば修理、改造、新造を繰り返し、旧車は他へ
売却、譲渡などされる。明治、大正、昭和と多様な変遷を経て現在、毎年3月下旬から5月上旬にかけて市内10地区総数31輌の豪華な山車が各地区の氏神を中心に曳かれている。
半田の祭り、山車には2つの大きな特徴がある。一つは半田の祭りが、一部大店の旦那衆や町衆の物ではなく、庶民皆の力が合わさって運営されている点である。山車細や町内のもの皆で楽しむ庶民の祭りとして発展してきた歴史があります。もう一つは幕末の頃からそれまでの山車の形態から素木厭刻が施された形刻山車へと変化してきたことである。山車に所狭しと施された刻の質
と量は日本一であると自負しています。
半田では従来「山車」のことを「やま」「おくるま」「おっくるま」「やまぐるま」などと呼称し一般に「だし」と呼称するようになったのは昭和54年に「はんだ山車まつり」が始まってからである。

大正14年(1925年)建造
・大正14年(1925年)建造
・昭和23年(1948年)改造 壇箱彫刻など一部を残し本体を造り替え
・昭和39年(1964年)追幕 緋羅紗地に唐獅子と牡丹の金銀刺繍を施す
・昭和56年(1981年)大幕に風神・雷神の刺繍を施す(京都建仁寺の許可を得る)
・昭和63年(1988年)高欄周りに黒檀をふんだんに使用した山車に改造
・平成24年(2012年)壇箱の本格的修復に着手(有馬白匠要治師に依頼)
・平成28年(2016年)彫刻類全体を本格的修復(有馬白匠要治師に依頼)
・平成29年12月(2017年)神車山車収蔵庫完成
・平成29年 3月(2017年)吹き流し新調(京都・龍村美術織物に依頼)
・令和2 年(2020年)追幕新調(京都・龍村美術織物に依頼)

破風新調

2017年12月17日 神車山車収蔵庫完成
